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これは架空鉄道です。たとえ実在する団体名がでてきたとしても、関係ありません。

都市

■豊原市 政令指定都市 人口85万人

 豊原市は樺太県の県庁所在地であり、県内で唯一戦前に市制施行した市である。戦前から北豊原に王子製紙の工場が立地する他、戦後は豊原空港付近の工業地帯に石油化学工場、食品工場、精密機械工場などが軒を連ねる。1980年代の炭鉱閉鎖に伴って県内各所から人口が流入し、1990年までに旧市域の人口が70万人を突破。1990年代初頭に豊北市、川上村を合併し、人口が80万人を超えて政令指定都市に移行した。

 市内交通は南北の軸がJR、東西の軸が地下鉄で、それを補完するようにバス路線が伸びている。JRが市内交通に供されるようになったのは1985年のシティ電車化以降であり、地下鉄は鈴谷川を渡る橋の混雑解消を目的としてバブル期に建設されたものである。

豊原市中心部
豊原市中心部

交通

■豊原市営地下鉄東西線

豊原市内の軌道系交通機関は、南北をJRが、東西を豊原市営地下鉄東西線が担っている。東西線は樺太神社駅から豊原駅を経由し鈴谷川を渡って軍川駅に至る路線であり、鈴谷川西岸地域の交通の要である。地下を走行するので雪の影響を受けず、市民からの信頼は厚い。

豊原市営地下鉄東西線1000形電車 寒冷な気候のため非冷房
豊原市営地下鉄東西線1000形電車 寒冷な気候のため非冷房
豊原市営地下鉄東西線路線図
豊原市営地下鉄東西線路線図

産業

 戦前の産業は漁業から製紙業へと推移した。戦後は、日ソ共同宣言後、高度成長によりエネルギー需要の急速な拡大に悩む日本と、地下資源の輸出により外貨を稼ぎたいソ連との思惑が一致し、樺太の北緯50度線は数少ない東西の開かれた国境となる。ここから石油、天然ガスが輸入され、真岡・大泊が本土への石油移出拠点となるとともに、県内に石油化学工業が立地する。石油化学工業は高度成長期以降県内随一の基幹産業になっている。

 一方戦前から豊富な森林資源を背景に隆盛を極めていた製紙業は、高度成長期の東京など大都市圏における爆発的な住宅需要に木材を奪われ、過剰な伐採による森林の荒廃とともに往時の面影を失っていく。しかし完全に潰えたわけではなく、現在も豊原の王子製紙等、操業を続ける工場は多くある。

 石油化学工業と比肩する重要度を占める食品工業は、樺太の寒冷な気候風土に起因して発展したと言ってよい。主なものは、小麦栽培を背景とする製粉業および製パン業、大麦栽培を背景とするビール醸造業、甜菜栽培を背景とする製糖業等である。北海道の食品工業の様子と似通っているのも、両者がともに亜寒帯気候であるがゆえのことだろう。コメの栽培が困難で採算が取れない樺太では、戦後パン食が強く推奨され、それにともなってパン工場が立地したものと考えられる。製糖業は、亜庭湿原西部を干拓して甜菜を栽培し、日本甜菜製糖留多加工場で大規模に行われている。鈴谷川から取水しなければならない亜庭湿原東部は、都市の下流に当たり水質がよくないと想定されるので、現状開墾は西部に限っている。

電力

 樺太の電力会社は樺太電力である。樺太電力の主力は火力発電であり、高度成長期は南樺太の石炭、現在は北サハリンから輸入される石油・天然ガスを主な燃料に発電している。原子力発電所は、沖縄同様存在しない。北海道の半分の人口を支えるのにわざわざ建てる必要に乏しかったことと、陸続きの北サハリンから石油や天然ガスが供給されていることの二つの要因によって、建設が見送られたまま現在に至る。一方の水力発電は、島の形が細いため大きな川が少なく、主力ではない。ただ、水力発電は電力需要の変化に比較的柔軟に追従できる特性を持つので、微力ながらも水力発電所を保有している。

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